西郷が尊敬した哲学者は
上杉兼信のあと関ヶ原の戦いで破れ4分の1の領地に減る30万石に、義のこころリストラしない家臣給料は三分の一に 自分給料は十二分の一に・・その直江謙続の義後継者で、”成らぬはひとのなさぬなりけり”で有名な藩主の九州高鍋潘から来た、米沢藩9代藩主、上杉鷹山である ジョン・F・ケネディにも影響を与えた彼が尊敬しているのが細井平洲である。上杉治憲(鷹山)が幼少期教に教わった教えとは。
嚶鳴館遺草(おうめいかんいそう)という書
学問というと、朝から晩まで、机の上の書物を開き、眼を皿のようにして、読むだけという方法ではいけない。
読んだ書物の教えの大事なところは、1行でも2行でも、暗誦して、思いを巡らし、心の中で、その言葉の意味は、「こうしたこと、ああしたこと」と、文言の真意を理解して、それに基づいて日々の行動を実践することだ。・・・書物を読み、その書に書いてあるところを反芻(はんすう)して、実践することが、本当の学問である。
人を教えるうえでの心得としては、菊好きの人が菊を作るようにしてはならないもので、百姓の菜・大根を作るように心得なければならない。菊好きの人が菊を作るというのは、
「花、形が見事に揃うよう、立派な菊の花ばかりを咲かせよう」として、多くの枝をもぎ取り、延びすぎたところは、切り揃え、その人の好みの通りに仕立て、咲かない花は、花壇の中に1本もないようにするもの。
百姓の菜・大根作りというものは、1本1本も大事にして、畑の中には、上手に育ったもの、そうでないもの、へぼなものもあったりして、大きさも大小、さまざまに不揃いなものですが、それぞれを大事に育て、良く出来たもの、そうでないものも、食用の用に立つように育てる。
この2つ「躬行の美・心の広さ」の大切さをわきまえて、世話をすることのできる人が師としての条件である。
人の才能というものは、すべて同じではないということを理解せず、自分の考え通りに育てることができるというような一方的で偏屈な考え方では、教えを受ける側も大変迷惑なもだ。
知識に優れた者、そうでない者、才能のある者、ない者、それ相応に世話をして、結局は、心良き人になれば、なにか用に立つことはあるものと考える・・・。
西郷隆盛が指導者 指南の書と評したと言われている そうだ。
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